☆ 3-2 ☆
タロットってなんか怖い?

タロットで今や未来、いろんな事がわかっちゃうなんて
何だかちょっと怖い気がします?


A、ハートランドなら…
大丈夫♪

怖いと思うのは気持ちの問題です。
が、知ると言う事自体は
純粋に情報を得ているだけです。

そして…私が知っても知らなくても
起きている事実には、変わりはありません。

と、考えます。


いわゆる「タロット肯定しすぎ派」(?)
みたいな方のご意見なんですが、時々
「当たりすぎて怖くなった…」と言う方がいらっしゃいます。

ネット上でのやり取りや、お問い合わせなどだと、
否定的な方、中立な方の方も多いんですが、
実際にセッションでお話するような方なら、
むしろ悪い意味で、占いを信じすぎちゃうような
タイプの方も、いらっしゃいます。

そういう方には、占いに対してまず、
ニュートラルな姿勢になれるように
お話をする事が多いのですが、

タロットは始めての方でも、
割と簡単に覚えて始める事が出来る割に、
比較的万能に、何でも思い立った時に
その対象を占う事が出来、
しかも、いわゆる「当たる」わけです。

半信半疑や遊び気分で
ちょっとやってみたら、本当に当たるので、
自分でもわからないまま、何だか怖くなった…

まあ、あまりにも軽々しい気持ちや興味本位で、
マジメな占的を占っちゃって、当たっていた場合

確かにこう言う気持ちになる事は、あるかもしれません。

人事移動の前、面白半分に景気付けのつもりで
同僚の昇進を占ったら、ネガティブな結果が出て
気まずい空気のまま、当日になったら、
本当に逆に降格される事になっちゃった…


日記が置き忘れて、広げてあったので
つい軽い気持ちで読んでしまったら、
とても真剣な悩みが書き記されていて
それを知ったら同じ気持ちで
接する事が出来なくなっちゃった…
ような気持ちでしょうか?

軽い気持ちで覗いて見たら、想像以上の事が
わかっちゃったため
に怖くなった…。

例えば同じ怖いでも、こう言う怖さだとしたら
それは使い方の問題ですよね?

「ちょっとした遊び気分で♪」
と言う事なら、結果が白でも黒でも
遊びの範疇で、笑って終わらせられるような
物でなかったら、困るでしょうし
「便利だから…♪」なんて利便性を理由に
タロットを軽々しく使い過ぎていたら
結局は自分自身のマイナスになりかねないし、
いつの間にか、何かあるたびにタロットに
「頼る」私
になってしまいます。

だからこう言う類の怖さなら、使い方、
気持ちや心がけの問題でしょうから、
一度でも考える機会が持てれば
大丈夫だと思います。


ただそれ以上に
「知ること自体が怖い、結果が出るだけで
何かタロットに、決められているような気がする」

と言う方、場合…


一つは「タロットはなぜ当たるの」でもお話したように
別にタロットをする行為が
結果を引き起こしているわけではありません。


「タロットが結果を出したからと言って、
それが"原因、理由"になっている」

わけではないんです。当然ながら…。
(個人的には主に、命占は帰納を、相占は演繹を
卜占術は相関を使う占いだと思います。)


「彼に私の他に、女性がいるかどうか
タロットで占ったら、いると出て、
後でわかったら、本当にいた…
それならタロットしなきゃ良かった…」


この場合、タロットを引いても引かなくても
結果は変わらないわけです。
別に「タロットが原因」で、
彼に女性が出来たわけではありません。

タロットしてもしなくても、この時
彼には女性はいたわけでしょう。
ただタロットを引く事で「それを知りたい…」と言う
こちらの情報入手行為を、行ったわけです。

知った結果が望み通りの物で無いのならば、
むしろ知らない方が良かった…
もしそうなら、当然最初から
「望み通りの物で無い、結果が出る可能性がある」
行為をするべきではなかった…

と言う事になります。


そして
「色々わかる事自体が、決められているようで怖い」
と、言う場合。


これはタロットではないですが、
易についてマーフィー博士が、語ったと言われている
次の見解が、とても的を射ていると思います

「易は特定の指図は与えない。
それはあなたについて語るだけである
それを知って解釈する事によって、
あなたは次に打つ手を決定するのである」


易を別の占術や占い、
「あなたについて語る」のあなたを
未来や、状況、可能性、
このまま行けばどうなりそうかの路線

などに入れ替えても、実に意味が通ります。

さすがマーフィー博士と言う感じで、この

●その事について語る。

●それを知って解釈する事によって
次の手の決定の情報、材料とする事が出来る。

●しかしそれはあくまでも情報であって、
占い自体があなたに、指図を与えるわけではない。


と言うのは、易だけではなく、ある種
占いの本質のような物でもあると思います。

そして専門的な占術になれば、中々直訳は難しいでしょうから
ここで占いが「語っている事」「解釈する事」のお手伝い
占い師さんがいる場合は、占い師さんがやって下さいます。

指図はしなくとも、占い師さんのタイプによったり、
お話のやり取りがあったり、こちらから尋ねた場合などには、
「アドバイス」ももらえるでしょう。

純粋に占うだけなら
鑑定して終了、推命して終わりもあるでしょうが
やり取りのある占いなら、一般的には、この
「ある程度のアドバイス部分」まで含めて
占ってもらう、と言う事でしょう。


一対一でタロットに向かう時も、
占い師さんを挟んでタロットとやり取りする時も
タロット自体は
「引いて知ったからと言って
それで何かを強要してくる物ではない」

と言う事がわかれば、
決して悪戯に、怖がらなくちゃいけない物では
無いとわかるのじゃ、ないでしょうか?


鏡をのぞくように…
教えてくれるだけです。
見せてくれるだけです。


これは基本的に、どの占いでも同じだと思います。

例えば命術は星を使って読みますが、
心理占星術の岡本翔子さんが、著作の中で語られている
「天体はわれわれの肉体や精神に影響を与えるが
魂には作用しない。
われわれの魂は自由意志を持ち、これは
天体からの影響を超える至高の力である。」

と言うのが、さすが、非常に上手い言い方だと思います。

私がより西洋占星術、その中でまた、より心理占星術の立場だから
と言うのもあるのかもしれませんが、命占である占星術も
星を読み、そこから類推できる事を知る行為です。

変えられない未来の結果を見るのではなく
その元になる原因を見ているわけです。
変えられない、決まって起こるはずの、未来の結果を見るのではなく
現在、そしてこれから、結果に与える影響の方を見ているわけです。

そう言う事を知る…と言う事。
これは怖い事…ではないですよね?
ニュートラルな行為だと思います。
知りえた情報をどう使うのか?
活用するのか?
それは、その人それぞれでしょう。


 引用 「ロマンチック心理占星術」 岡本翔子 主婦の友社






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