☆ 5-17 ☆

占いでは人間の性格を4つ、6つ、
12個などのグループにわけて言うけれども…

人間の性格や人格が、4つや6つや、
12個しか無いなんて、わけはないはず。

人間の性格をたった4つや6つ、
12個にわけるというのは、おかしくないの?
 



A、ハートランドなら…

別におかしくないよん♪
と、考えます。
(その事自体はですねー♪)


この疑問を持つ方と言うのは、そもそも
類型(論)と言う物を誤解していると思われます。

人間の性格を4つ、6つ、12個などのグループにわけると言う事は
人間の性格、人格が4つや6つや12個だけだとか
グループ内ではみんな同じ性格であるとか、
そういう事、主張、考え方ではありません。

ですからこの疑問自体は、パーフェクトに誤解なのですが、
そう思いたくなるのも、あながち無理は無い
と思っちゃうのは、おーおーにして、
分類側は分類側でちょっと拡大解釈しすぎていたり、決め付けちゃっていたり、
類型の考え方の枠を取り違えたり、はみ出しているような時や部分もある
のだと思います。

私が見ていても
「この類型で、まさかそこまでは言い切れないのでは?」
と思うような場合はママあります。

まっ、現実的にはいろいろなトコがあってケースバイケース、
難しく考えたらやっぱりキリは無いんです。

んで、最初は心理学辞典の類の類型関係を、
そのまま引用した方が、誤解が無いかなーとも思ったんですが、
例によって、動植物がどうだの、シュプランガーだの、ヒステリーだの、
読めば余計わからなく、なりかねない
ちょっととっつきにくい、ややこしい言葉、書き方してあるので
私の子供っぽい、相当砕けた説明になるのはご容赦下さい…
(と、ここまでが前置きですな^^;;)



えー、まず類型と言うのは、ようは、
ある特性・観点などによって分類した、グループわけの事です。

最初からわけるべきふるいの目とでも言う、チェック項目があるわけで、
それに基づいて、その点についてだけ、グループをわけます。


うんと乱暴に例えて、人間が100だったとしますよね?
すると類型論と言うのは、これも例えれば、
「まずそのうちの、最初の1が白か黒かをわける。」
とでも言うような、ニュアンスの作業をしているわけです。

「最初の1について、白と黒のグループわけをしましたよ♪」
と言って出来た二つのグループでは、あくまでも、
最初の1つについてが、白いか黒いかが
(もしくは最初の1の視点を、まず白黒で分けてみた場合の、
それぞれの差異や比較が)わかるだけです。

その意味において手がかりになりますが、当然残り99の部分はノータッチです。

りんごとピーマンと言う観点からグループをわければ、
赤や青や緑の、色と言う観点ではバラバラになっているような物ですね。

だからと言って
「これらの物体をりんごとピーマンの、たった二種類にわけられますか?」
と言われても、
「りんごとピーマンについてわけるだけなら、二種類でわけられますよ。」
と言う感じです。


「100のうちの1については、こっちとこっちにわけられました♪」
(わけてみました♪)

と言っているだけで、
「残りの99も同じなのか?違うじゃないか!」
なんて言われても、最初っから
「100全部わけられました。」
なんて主張自体、していないわけです。

4つや12個で解答している雑誌TVなどを見ると、ほぼ必ず
「人間の性格は全部で4つですか?
運命は12個しかないんですが?」

と言って反発される方がいますが、
4つや12に分類する、わけて考えると言う事と、
4つや12個しかないと言う事は違います。

入社試験を受ければ、結果は合格と不合格の2つしかありません。
合否と言う意味において、2つに分類できるのであって、
人間に2種類しかないわけでもなければ、
合格者同士、不合格者同士が、
それぞれまったく同じであると言う意味でもありません。


すでにこの時点で
「人間が100人いれば100人とも違うんだから、わけられるわけない。」
「100人いたら100通りあるんだから、グループに出来ない。」

と言う考え方は、ちょっと取り違えています。

クレッチマーは気質・体質の分類で3つにわけました。
さらにその前は2つだったと言われています。
ユングさんなら8つ。
エニアグラムなら9つです。

これは12星座や27宿よりもずっと少ないですが、
当然人間の性格が全部で3つや8つ、
9つしかないと言う事でも、主張でもありません。

「はーい、男性と女性に、わかれてくださーい。」
と言われて
「男性ならみんな同じですが?女性なら全部同じですか?
男女にわける事に、何の意味があるんです?」

とか噛み付かれても、そもそもそう言う意味でもなければ
そんな事言っていないから、困っちゃうのと同じです。

「文化部ですか?運動部ですか?」と言っても、
文化部と答えたら文化部の人は、全員同じと言っているわけでも、
みなされるわけでもありません。

性格の類型にしても、当然
「同じ類型グループ内では、みんなまったく同じ性格」
なんて言う事は、いくらなんでも、どこの占いでも、
心理学の性格判断でも、言ってないはずだと思うんですが…。

そんな風に取るようなら、類型をする側、される側に限らず、
取るほうの取り方が、拡大解釈しているだけでしょう。


一方でここで反発しちゃう方と言うのは、1億人の人がいたら、
常に1億通りにわけてお話すれば、満足なのかもしれませんが、
常に全人数分の単位しかなかったら、
普通に考えて不便です。


でも常に毎回、全部分、全要素が必要なわけでは無いですから、
なら、特定の部分についてだけ考えれば良い時には、
その観点のふるいの目を用意して、便宜上わけて考えましょう♪

(そしたら便利です♪)が、類型論です。

だから広い意味での“類型のたぐい”って、いたるところにあります。


占いや心理分析での類型に反発を覚える方の
「性格を4つや12にわけられるのは、なんか嫌…。おかしいと思う」
と言うのは、例えば、

あまり自分が乗り気ではないのに、
好きでも無い占いや、心理分析につき合わされちゃったとか…。
それで面白く無い結果を言われたり、
見透かされたかのような事を、言われちゃったとか…。
妙にわかったり、決め付けられちゃうかのような、
言われ方をされた時などでしょうが、
これは類型論自体の是非ではなく、使い方と心情的な部分でしょう。

だから占いや心理分析が好きじゃないために、
そっちの類型には、反発を覚える方も、
実は、自分の好きな物に対しては、
ほとんどあらゆる場面で、さしたる抵抗もなく、
類型のたぐいを使って、考えているはずなんです。

もちろんどんな類型でも、占いや心理テスト自体が、
最初から完全に勘違いしてたり、間違った使い方になってたり、
お相手に不快な表現や、差別的な表現で、伝えて良いかどうかなどは、
これはまったく別問題ですよ?


類型論のほとんどのやり取りの行き違いは、これに集約されます。

「この点についてわけてみました。」
「でも全部の点を見れば、みんな違うでしょ?」


また、だからその意味では、
類型のグループ=分類の数は、直接は関係ありません。

グループの数が少なければ、いい加減で信頼度が低く、
グループの数が多ければ、確かで信頼性が高い。

これまた、まったく別問題です。
あくまでも類型の内容との、相対的な物になります。


さらに以上は類型の理論と言うか、考え方的な部分ですが、
これを現実に使う…と言う部分に落とす時、
また統計などの形から、帰納で還元して考えられた場合などでしたら、
当然、もう少しファジーになります。

簡単に言っちゃうと
「人間相手の類型だったら、そんなにはっきり白黒にわけられない。」
と言う事なんですね。

これも例えて言うなら
「最初の1について、白と黒のグループわけをしましたよ♪」
と言う時、

文字通り白い紙と黒い紙なら、二つに一つではっきりわけられます。
こう言うのはデジタルにわけられます。
1から10までを、偶数と奇数にわけるとかですよね。

ところが人間相手や性格の類型だと、これがオンオフのどっちかでは
わけづらいような場合が多いです。
この場合通常の類型では、よりどちらに近いかなどでわけたりします。

つまり結果的には白黒のグループに分けられても、
対象自体が完全な真っ白、真っ黒ではなく、
同じ白でも
「真っ白もあれば、しいて言えば、白に近い灰色もある。」
が、さまざまあるわけです。
(類型によってはこれを、類型の純粋な中心からの
距離や位置のような物で、表現したりもします。)

さらに
「こう言う条件の時には白」とか、
「確率的に白が多いから白」とか、
(これだと観察時の瞬間は、黒かもしれません。)
対象が人間や性格となると、なかなか文字通り
「白か黒かでは、キッパリわけられない」んですね。
確率的にこっちとか、条件付でこっちとか、より近いのはこっちとか
そのくらい、やわらかい類型になってきます。

だから類型論自体が、完全でもなければ、100か0かでは無いんです。
あくまでも
「そのふるいの目からの視点と言う意味おいて」「手がかりになる。」
それ以上でも、それ以下でも無いはずなんです。

それ以内として使い道があるかもしれなく、
考え方のヒントや、手がかりになるかもしれない単位、物を、
それ以上や完全では無いから意味が無い!
とでもいうのは、最初から論点がズレています。

「男性は力が強い。」
これは平均値と言う意味では、正しいかも知れません。
あくまでも
「平均値」と言う意味で言っているのなら、
「女性にだって力の強い人はいる。」とか
「私は男性ですが体力が無いです。」とか
「でも男性の70代より、女性の30代の方が力が強いんじゃないの?」
とか言ったとしても、最初から
「女性に力の強い人がいない。」とか、
「男性なら70代でも、女性の30代より力が強い。」
と言う事を、言っているわけではないんですね。



占いで人間の性格を、たった4つや6つ、12個にわけるのはおかしくない?

別におかしくないんです。
この事自体は

常に全人数分の分類数を持たなくてはいけない。
それしか分類単位が無い。
などと言う事、考え方では、不便極まりないです。

単純に、類型の数が少ない事が問題だと言うのなら、
心理テストや性格判断だって同じ事ですし、ある種それ以上です。

ところが
「12星座は12個しかないからおかしい。」
と言う主張は聞いても
「エニアグラムは9種類に分類するからおかしい」
などと言う、分類数の少なさを問題視して批判をする人は、
ほとんど聞いた事がありません。
それなら「占い」と言う言葉の方に、こだわっている事になります。

だからこそ
「占い」また「性格」なんて言う言葉がついた時だけ、
ピクッと反応して、気にしたり反発したりしちゃう方も、
実際は占い以外では、誰もがあらゆる場面で、
類型論の類を使っている物です。


全人数分、オーダーメイド・オンリーワンの単位にも
2つ、4つ、6つ、12個なんて言う、類型と言う単位にも
それぞれ長所と短所、使いどころがあるのですから
適材適所、使い方で、単位と上手に
お付き合いできれば良いのだと思います♪



(類型っちゅーのも狭義・広義、一般・専門
実に色々な意味、形であり、使いますから、
「占い」や「科学」、「統計」なみに、およそ一言ではいえないんですが、
主に占いで使われるような場合について、
スタート地点の考え方としては、こんな感じだと思います♪)






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