☆ 2-2 ☆
未来や一生は、運命や宿命で
実はもう全部決まっているの?


A、ハートランドなら…

そんな事は論理的にありえないッス。

と、考えます。


仮に未来が全部決まっていたとしますよね?
するとまず
「決まっている本来の未来」
がある事になりますよね?

じゃあ、タイムマシンの親殺しのパラドックス、みたいな物ですけど、
あえてその未来に、ならないような行動をしたら、
どうなるでしょう?

「決まっていたはずの未来」が、
変わった事になります。

変えられたのなら
「決まってはいなかった」わけです。


もっともここで宿命論的な方は、こう考えると思うんですが…
「実は変えたつもりでも、
選んだ方の未来こそが、
最初から本当の、未来だったんだよ〜ん。
結局は変えられていなかったのさ。」

と言う場合…

じゃあどうやったら
「変えたほうの未来が、決まっていた方の未来だった事を
確かめる事が出来るのでしょう?」



未来、未来といったって、その時が来れば、
手に入る
「現在」は一つなわけですよね?

家にいる未来を選んだ私と、外出する未来を選んだ私は、
現在になった時には、同時には存在できません。
普通は巨視的には。


常に未来は
「可能性の形で無数に存在し」
現在になって、ご本人の自由意志の行動を加えて、
始めて点として決定します。

決まっているのは現在
であって、
未来と言うものは、決まっていないんです。

そもそも決まる…と言う事は、
現在にならない限りいえないわけです。
未だ来ていない物が未来です。

だから、未来は未来であるがゆえに、
現在にはまだ存在していない。
と言い換える事も出来ると思います。

それならますます
「現在、存在していない物を、
決まっている物として、決定は出来ない」

事になります。

ちょっと考えれば、どなたにでもわかる事でしょうけれども、
「一部始終、細かいところまで、全部決定している、本来の未来」
と言うのは、それ自体矛盾しています。

「現在それを認知、確認する事が出来ない」
と言う条件付でないと
存在出来ないからです。

神様みたいな、次元の違う目でも持って来ない限り、
少なくとも、人間の思考領域で展開できる、
論理の範囲内のような物では
「決まっている未来」
と言う物を、把握する事は出来ないでしょう。

「決まっていた未来」と、「変更された未来」
確認、把握するためには、
その二つを比べない限りわかりません。
(いわゆる
“別の座標系の目から観測しない限り”
比較する事は出来ません)


でも人間には、現在の座標系からの、
観測しか出来ません。

それで「変更されたはずの未来」を
「変更されたはずの未来」と認識するための
「決まっていたはずの未来」との比較を
どうやれば出来るのでしょう?

「今」になってわかった時点では、
常に一つの現在しかありません。

「実はそれこそが、決まっていた未来なのですよ」
と言われても、
「そうである事を確かめる事も」
「そうでない事を確かめる事も」

人間には検算の手段が無いんです。


「全部決まっているんですよ♪」
宗教者の方がお話しするような事は、
あると思います。

それはさっき言った
「人間の思考領域で
展開できる、論理の範囲内のような物」を
超えたような部分の視点から見れば…

と言う意味でしょう。

教訓、心構え的な意味で
「みんな決まってる。
ちゃんとなるようになる。
だから必要以上に
じたばたあくせく、気に病まないで…
また、驕り高ぶる事無く…」

見たいな考え方から始まって、
それをプラスに活かす事が目的なら、
もちろん、大いに有効だと思います。

また、現実的、事実上
「ほぼ間違いなく、そうなる可能性が大だよ。」
と言う意味で、もう未来は決まったよ…
こう言うのもあるでしょう。
「時間の問題」ってやつです。

ただ少なくとも「占いの理論」的…
みたいな方向からなら、決して
「実はあらかじめ、細部まで、
全部具体的に、未来は決定してわかっている
占い師さんはそれを、占いで見ている」

と言うところまでは、いっていないと思います。


百歩譲って、神がかり的に、
ピンポイントで変更不可な、未来の一部を、
キャッチする事が出来たとしても、
そういう、決定未来を、告げるだけなら、
「予言、超能力、霊能力」の類であって、
私なら「占い」とは、ちょっと違う
職域、カテゴリーだと
思います。

一般的な占い師さん、占いは
「情報、分析、予測」であり、
ご本人の行動、イメージ、努力で修正する範囲を含んだ、
可能性、幅のある未来、事象を
対象としている、場合をさすでしょう。





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