☆ 5-18 ☆
私はコンビニなどで雑誌があると、
つい全部の雑誌の星占いのコーナーを
チェックしてしまいます。

私は朝のTVの星占いのコーナーは
一通り見てしまいます。

これは占い依存?



A、ハートランドなら…
たぶんこれくらいなら…
(依存だったとしても、取り立てて問題視するほどの)

依存じゃありません。

(大安心せよ)
と、考えます。


例えばこう言うのが女性側から出ると、占いに興味の無い男性などは

「全部見る必要なんか無いじゃん。」
「1つ2つ見たら、満足できないの?」
「2、3冊で止められないって言うのは依存だろ?」


と言う意見なんかも、出るとは思うんですよね。

人間は自分の好きなものは「好き」だから、
その気持ちに比例して、手間も暇も時間もお金もかけますが、
興味の無い人から見たら、また、好きで無い物に対しては
(思い入れが無いわけですから)
「必要あるか無いか?」だけで判断しがちなので
「必要ないからやらない」で完結しちゃいます。

だからこう言う時に言う、興味の無い人の「1つ2つ見れば良いじゃん?」
と言うのは「見てその結果がわかればいい。」と言う、
ご本人にとっての、必要性の有無からの意見だと思います。
ところが好きで見ている人にとっては「見る事自体が楽しみ♪」
なわけですから、反対に別に「1つでやめる必要性」の方が、無いわけです。
見てて楽しいなら続ける理由は(ご本人には)あるわけですよね。

論より証拠?、例えばこれを今度は、男性側が好きでしている事に、
置き換えたらどうなるでしょう?

「野球の結果?1つ2つ見たら満足できないの?」
って言われたって、
「別にいいじゃないか、好きで見てるんだから♪
それに全部見なかったら、他チームの事や、
順位がわからないだろー?」

となるかも知れません。

占い雑誌をはしごして、立ち読みする女性には
「そんなもん、全部見る必要ねえよ〜」とか言ってる男性も、
パチンコ雑誌や競馬情報には、全部に目を通して
「全部見なかったら、見落としてる情報があるかもしれないだろ?
雑誌の取材や情報と言うのは、各雑誌社によってだな…」
なんて、
「論理的な理由と正当性」を、胸を張って、してくれるかも知れません。


(問題になるほどの)依存と言うのは普通
「止めたくてもやめられず、その事によって支障が生じている。」
くらいの物をこそ、言う物と思います。
もちろん、俗語や軽い意味で「依存っぽー♪」とか「プチ依存〜。」
みたいな使い方は、お互いがわかっていれば何の問題も無いと思いますよ。
私の場合も、なりかけさんや、軽い方に対しては
「病気では無いですよ〜♪」と言う意味では使いますが、
多少、好き度が高いからと言って、それを何でもかんでも
「依存」(病気)呼ばわり、扱いするのもどうかと思います。


今はいちいちそれをやってたら、なんでも依存になっちゃいかねませんが、
そう言う意味で依存がエスカレートするのも、困りものでしょう。

依存(神経症)の判断基準は、やはり
平均からはずれている度×本人悩んでる、周りに支障をきたしている
の絶対値が基本だと思います。

左辺が高い事によって、ご本人も困る、周りも迷惑って、
右辺の現象化が高じて、絶対値が上がって、
そこで初めて「ちょっと何とかしなきゃ…」が基本だと思います。
(ちなみに左辺がまったく平均内のはずなのに、右辺の現象化が起きるなら神経症です。
帰ってきて必ず手を洗わないと、不安で何も手につかないとか、
机の上の本や食器の辺が、全部机の辺と並行じゃないと、
直さない限りイライラして、正常でいられなくなっちゃうとかです)



「おっ、よぉ、おめぇ、
いつも葉っぱくわえてないと落ち着かないなんて、
葉っぱ依存づんずらぜ」

とか

「ご隠居〜、何かにかこつけては、必要も無いのに、
あっちゃこっちゃ、旅に出ないといられ無いなんて、
そりゃ旅依存ですよ〜」

とか言っても、

本人も特に悩んでもおらず、
周りも別段、迷惑をこうむっていないのなら、仮に依存だとしても、
ことさら問題視するほどの事でも、無いと言う事なんですね。


障害のある方には色んな神経症もありますが、
私ならまあ、日常生活でそれとわかる程度の、
趣味がらみの事なら、多少好きが高じても、
たいていはそれほど、問題視するほどの事でもないと思いますよ〜。


私から見れば、単に占いが好きって割合が高いだけなら、
たいした依存じゃないですが、
また別の占い依存度判定みたいな、本やサイトさんでは、
結構占い依存度が高い〜見たく、判断されちゃう事があるかも知れません。

この辺は占い依存に関する意見や見解にも、
それ自体や判断者側に幅があるだと思いますから、
例によって上記は私なら…の考えですが。




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