Coffee break

(2) 占い師さんの言う事を
信じて従う必要はありません

回答編…かな?
 


つまりこうです。
「信じて従う必要はありません。」
この言葉でおやっと来た方は

「私は占いって結構信じてるんだけどな?」

「やっぱりね。占いとかって根拠が無いと思ってたんだよ。」

「この占術はこれだけ流行っているんだから、
一応信じておくにこした事無いんじゃないの?」

「うん。四柱推命とかならまだ統計だと思うけど、
タロットとかって信じられないんだよねえ…」

「だって……私はこの占いで過去は当たっていたから、
やっぱり信じざるを得ないよ…」


色々な事を考えられたと思うんです。
でもちょっと待ってください。

「信じて、従う必要はありません。」

従う

の部分でも、引っかかったかもしれませんが、
この言葉から連想、生まれていった事のほとんどは
「信じるか、信じないか?」「従うか、従わないか?」
だったのではないでしょうか?

「信じる」「信じない」
これは二択です。

信じれば何だか全部を、受け入れなくてはいけないような…
やっぱりその通りにしなくては、なんか悪い結果になるような…
信じないとなったら、全部否定しているような…
どっちかを取ったら、どっちかだけ…

もしくは
「信じるのなら、そのアドバイス通りに
しといた方が、良いんじゃないの?
信じると、言われた通りにするのは違うの?」

なんて思われた方もいらっしゃるかもしれません?


その先生のキャラクターとして、
断言系で鑑定されるタイプの占い師さんは、
これはそこそこいらっしゃると思います。
が、
そういう先生のタイプ性などを差し引けば、
普通出た占い結果と言うものは、
さらに
その後の行動まで「こちら以外は認めない」のような
断言系で出るものではありません。

例えば某占術では
「この時あなたは悪い時期」
と言うのが、かなりはっきり書いてあります。

相性でもこの組み合わせはダメ、
運気も悪いとなったら、それが二年も三年も続き、その間は
「何をするのも絶対ダメ、新しい事も動くのもタブー、
悪い結果にしかならない。ただ大人しく耐え忍ぶ。」

とまで書いてあります。
(あ、何の占術かわかりましたか?(^-^);;;)
これは私に言わせれば相当とんでもない事です。

が!

この占術を信じたり、
頼られたりされている方だっていらっしゃるでしょう。
いらっしゃるんですよっ。

じゃあ その方にはなんとお話しするのか?
「そんな占い嘘に決まってるじゃないか!信じないでよ。」
でしょうか?

その方が、その占いを、本当は信じたくない…
と、思っていらっしゃるなら、それも有効かもしれませんが
そうでなかったら、どうするのでしょう?



私が言いたいのは思わせぶりに略さないと


「信じて従う必要はありません」

「結果を信じたとしても、その後の行動まで
占いや、占い師さんに決められて、
そのまま従う、必要はありません。」



信じるな!ではなく、

占い結果を信じたとしても、
それを考慮した上での決定は、ご自分で出されて良い。

と言う事なんです。
考慮に入れる事と、
そのまんま行動を決めてもらって、言われた通りに従う事は違います。

占いとは現在の時点での分析、予測。
占い師さんはそれを、提供して下さいます。
でも
ではこれから先、その後、私はどうしたら良いのか?
これは厳密には占いではありません。
占い師さんのアドバイスです。

占い師さんのところに占いに行くのは、
改まって考えてみれば、上記の
予測、情報のサービスを利用しに行っているのであって、
行動を決めてもらいに、行くわけではありません。

確かに境界線はグレーでしょう。

気持ちが弱ってる時ほどついつい
この境界線をふらふらしちゃいますが、
これを見誤ると、
あっという間に占い依存になっちゃいかねません。


「私はこの占いは信じちゃう。
そうか…それじゃこれからは
まる三年間も運気は悪いんだな。
この時期に結婚すると上手く行かなくなる可能性が高くて
出来れば結婚も転職もしない方が良いんだな
………
でも


仮にこの占術の立場に立って、信じてそれを差し引かれた上でも、
それでもご本人にとって三年も待て無い、現実的な事情があるのなら、
動かれてかまわない。…というのが私の考えです。

占い的な視点、運気では出来ればor極力避けた方がいい
占いは
占いと言う方向からの情報の一つですから。

でも

私的にはそれを差し引いて有り余るほど
避けてもいられない事情、がある。

のなら、占い結果を考慮(覚悟?)された上で
ご自分で判断されるべきじゃないでしょうか?


「この人とは思ったよりも相性悪い事はわかりました。
お付き合いしてるとトラブルその他も色々多そうだと…
でも、今、私は、この人とお付き合いがしたいんです。」




どの情報を最重要視されるのかの決定権は
クライアントさん側にあります。

ここで、それでもやっぱり気になって、
他のどんな事情、情報よりも
占いの結果を最優先する。

占いの結果に従わないと落ち着かない
と言うのなら、それは立派な

占い依存
じゃないでしょうか?

でも仮に全部占いに依存して、
心配だから自分の考えを犠牲にして
その通りその通り…とやっていったら…?

上手く行っても占い依存になりませんか?
ましてや上手く行かなかった時にはどうなるでしょう?

「あなたの占いを信じて結婚を延期したのに
こんなにひどい事になっちゃったのよ!」


その時にその占いが責任を取ってくれるわけではありません。
(こう言う発想自体おかしいのですが…
責任取りようが無いんですから)
たぶんその占い師さん、もしくは占いの本に

「何を言ってるの?占い通りにしていたから
まだこのくらいですんだんじゃないの?」

あたりを言われて終わっちゃいかねないと思います。

占いは占いとして、占いからの視点での情報提供です。
でもクライアントさんにはそれ以外の事情、情報があって
占い部分の情報を組み込んだ上で、
最終的な責任はクライアントさんが持たれる以上、
最終的な判断はクライアントさんがするわけです。


電話や対面鑑定で
やり取りが出来る占い師さんなら、
一種そういうあまり状態はよく無い…でもご本人の事情を考えたら、
ただ待ってはいられない、行動せざるを得ない場合、じゃあどうしたら

良くないなりにそんな中でも、一番ベターな結果につながるのか?

を、お話しする事こそ、占い師さんにとっても
腕の見せ所じゃ無いかと思います。、



天気予報で
「今日は午後から降水確率30パーセントです。」
とあったとします。
「信じる」と言う言葉を使って、それを考えるのなら、普通は

「降水確率午後30%か…
じゃああまり遅くならないうちに帰るかな?」
「傘は荷物だなあ…ちょっとでも減らしたい。
ま、30%くらいなら大丈夫だろう。」
「一応折りたたみ持っていくか?」
「50%こえない限り気にしない。降ったらその時はその時!」
「じゃあ今日は動物園はやめて、
ブロードウエイでウインドウショッピングにしよっと♪
そうしたら屋根もあるし、
帰る頃いよいよひどい降りになっても、傘すぐに買えるし♪」

同じように降水確率30パーセントを信じた(前提にした)としても、
それで、その後の行動にどんな風に活かされるかは人それぞれ

だと思うんです。
(例えが天気予報ですから、
信じる、活かすはちょっとオオゲサですが…)

占いくらいじゃないですか?
現状分析と、その後の行動の指針が、ここまで一体化してるのは?



もちろん占い師さんの立場で考えれば、
天気図と違って命式やホロスコープ、月盤だけ見せたところで、
クライアントさんのほとんどの方はピンとは来ません。

それだけで全部わかるくらいなら、
ほとんどの方はご自分で解決されるでしょうし、
それを1から説明していたのでは、いくら時間があっても
とても常識的な鑑定時間中には間に合わないのはわかります。

過程の理論の省略は、ある程度は仕方が無いでしょう。ただ、

はしょり方
(省略の仕方?)

…とでも言うのかなあ?


「あのう…。今日の天気が心配なんですよ〜…。
彼と初めてのデートで、○○方面の海に行こうと思っているんですけど…」
「…………………………………………………………………………………………」
「………………………あの………」
「ズバリ言いましょう。今日は彼と外に出ては絶対に幸せになれません!」
「………キャー w(・▽・)w 」



降水確率を聞かれたのに、

ご本人の行動から気持ちまでの
取るべき行動結果で全部答えてしまう。
極端な例えですが、ここまで略したら、私なら

ワープしすぎ…

と思うんですよね。
(くれぐれも、その先生のスタイルが、それとしてすでに認知されているとか、
時間的な事とか、よほど別の要素があればお話は別でしょうが、
一般論なら…ね?)


「占い結果を信じてくれるのは、それはもちろん、うれしいけれども…」

占い結果を信じても、それで全部そのまんまの
行動される必要はないと思うんです。

「私の占い結果を考慮・参考にして、
(情報の一つとして組み込んでくださった上で)
最終的にはご自分で判断されれば、それで充分です。」

頼り切って言った通りに、右から左へと行動するよりも、
言った事をご自分で決めるための
情報として活用してくれ、役に立てた。


多くの占い師さんはそういう風に、占いを使って下さったほうが、
うれしい♪と思うんじゃないでしょうか?


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